現代史

「リーマンショック」とは何だったのか 最終章|金融不安・崩壊する実体経済

2030年に運用資産額5億円到達を目標にしている”あきひろ”です。

株式投資をするにあたり、日々経済ニュースを見ることが日課になりましたが

あれ?これってどういう事?
なんでこんな事になってるの?

そもそもニュースの内容がよく理解できない、って事がよくありました。
歴史や過去の様々な事件、そういう事が現代史に脈々と影響し、今の経済活動の礎となっている事が理解できると、そういった教養を身に付ける事が回り回って株式投資にも大いに役に立ってきます。
お金を増やす事で豊かな人生の一助とする方針はもちろん変わりませんが、例え直接株式投資に関係は無くても、ただ純粋に、教養を身に付ける事というのは物事の深い理解を助けて、人生そのものを味わい深くして豊かな人生を送るものに成り得ます。

今回、2008年の世界同時株安の引き金となったリーマンショックというものについてまとめてみました。

第1章では、リーマンショックの概要ということで、リーマン・ブラザーズと言う投資銀行の紹介と、住宅バブルが崩壊したことによる債務不良で破綻したこと、そしてその当時のアメリカ政府の初動に問題があった事が原因で世界恐慌に繋がった事をザッと説明しました。

「リーマンショック」とは何だったのか 第1章|概要〜導入2030年に運用資産額5億円到達を目標にしている”あきひろ”です。 株式投資をするにあたり、日々経済ニュースを見ることが日課になり...

 

第2章では、そのきっかけとなった「サブプライムローン」についての説明、そしてそれによる「住宅ブーム」の到来と、その加速により地価がどんどん上昇し、多額のお金が貸し付けられた事により発生する大量の債権の存在を紹介しました。

「リーマンショック」とは何だったのか 第2章|サブプライムローンと住宅バブル2030年に運用資産額5億円到達を目標にしている”あきひろ”です。 株式投資をするにあたり、日々経済ニュースを見ることが日課になり...

 

第3章では、サブプライムローンによって発生した多額の債権が住宅バブルの終焉と共にどの様な顛末を迎えたのか、そしてそれによって金融不安に繋がっていったことを説明しました。「債権の証券化」、格付け会社、そしてヘッジファンドなどが登場しました。

「リーマンショック」とは何だったのか 第3章|債権の証券化・揺らぐヘッジファンド2030年に運用資産額5億円到達を目標にしている”あきひろ”です。 株式投資をするにあたり、日々経済ニュースを見ることが日課になり...

 

そしてこの最終章では、いよいよ実態が明るみになり始めたこの証券。金融不安はいよいよ実体経済への影響を甚大にしていきます。あり得ない形で飛び火していき、一気に経済を冷え込ませていきました。この世界同時不況から学び取れる事、どんな教訓が得られるのか、そんな形で締め括りたいと思います。

 

実態が見え始めた証券

福袋を買ったら闇鍋だった

元はサブプライムローンの債権である証券。人手に渡りやすく小口に分けられ、より安全にするために優良企業の債権と混ぜてパッケージ化し、リスクを他人に押しつけるが如く多くの人の手に渡りました。格付け会社からのお墨付きももらい、AAAが付きました。

みんな、そんな証券を一体どういう感覚で買ったのでしょうか。例えるなら、「福袋」と同じ感覚です。

色々な証券が無数にありますから、中身はいろんなものあります。
詳しくない人にとっては何が入っているかわかりません。そういう意味では、正月の福袋と同じ感覚です。

では普段、そんな何が入っているかわからない福袋を、人はなんで買うんでしょうか?
価値観は人それぞれでしょうが、やっぱり色々と入っていて「お得だ」と思うからですよね。

「実際に売っている価格よりも良いものがいっぱい入っていますよ」と言ってくれるので、「そんなにお得なら」っと思って買うわけですよね。

それから、福袋がどこが売っているかによっても判断しますよね。名だたる老舗のデパートの福袋だったら、「きっと良いものが入っているだろう」と思うのが普通です。ここで言う「名だたる老舗のデパート」というものに匹敵するのが、格付け会社が発行する「AAAと言う格付け」だったわけですね。

だからほとんどの人は中身を見ないで買ったんですね。
そしたら福袋じゃなくて闇鍋だったんですね。

「福袋」だと思って買ったら「闇鍋」だった。これがサブプライムローンを担保にした証券の騒動だという事になったわけです。

現金の囲い込み、そして思わぬ飛び火

さぁここから何が起きるのか。”金融不安”が広がっていきました。銀行同士でも「うっかりお金貸せないよね」ということになります。とにかくお金を貸すと大変だ」、と言う空気になります。あるいは、ちゃんとお金を返してもらえるとわかっているところだとしても、一旦お金を貸しちゃうと、しばらく手元に現金がなくなってしまいます。

いろんなところが次々潰れてくると、自分のところが大丈夫なようにするためには、「現金は持っておいたほうが良いよね」ということでみんな“現金の囲い込み”をし始めました。

そんな背景で、この時アメリカでは、自動車を買おうとしても、自動車ローン会社が自動車ローンをなかなか貸してくれない、ということが起き始めました。

え!?自動車買い換えようと思ってるのに、ローンを借りれないの!?
しょうがない、車を買うのを諦めよう。しばらく今の古いものを乗っとくか・・・

ということがアメリカ各地で次々に起き、アメリカで車がパタッと売れなくなりました。
こうなると大打撃を受けるのは日本の自動車メーカーです。

そうすると当時東海地方の自動車メーカーが生産量を大きく減らしました。
となればそこに部品を納入している会社も仕事が激減しますよね。

詳しくは言いませんが、これは私自身も相当記憶に残っています。私の務める会社の取引先には自動車工業の仕事を請け負う会社も多く、また、あらゆるモノづくりの基礎原料になる素材関係の会社も多々あります。自動車メーカーが一気に生産量を減らした事によって、それに関連するあらゆる設備投資が延期、もしくは中止になり、一気に仕事量が減少し、収益売上が絶望的になりました。

こんな風に、お金の流れが止まる事で実体経済に大きな負担が出るわけですね。

社会問題となった「派遣切り」

こんな時、真っ先に煽りを受けたのが当時「派遣社員」という形で働いている人たちだったんですね。一気に仕事がなくなりました。

会社
会社
はい、今月で契約は満期になりました。今回更新は行いません。

派遣社員というのは「任期はここまで」っていう労働期間を一定期間に限った契約ですよね。
満期が来るたびに、1ヶ月から数ヶ月単位で毎回契約を結び直していくスタイルですよね。ということは派遣社員を雇っている側はこういう時、非常に楽なんですね。わざわざ「クビだ」って言わなくていいわけですから。

例えば、7月いっぱいで契約が切れます。「来月からは契約を結びません」と言えば自動的にその人辞めさせる事ができるわけですからね。

これによってこの時、自動車工場で働いている大勢の派遣労働者の方々の仕事がなくなってしまいました。この当時、派遣労働者の方っていうのは地方から出て来ている事が多かったので、住む場所、つまりアパートなども併せて貸してくれます。でも、そこの派遣労働者でなくなってしまったために、「すぐにアパートも出ていってください」ということになりました。

給料は途絶え、住む場所は無くなる。
ということで、当時の年末に東京で、2008年12月31日〜2009年1月5日までの間「年越し派遣村」というのができました。全国で突然派遣社員の仕事が無くなってしまって、アパートを追い出されて住む場所もない人たちのためにボランティアの人たちが日比谷公園で炊き出しをしてテントを張って、そこで大勢の人が年を越す、ということが起きましたね。

これもリーマン・ショックの影響だったんですね。
正社員の方は簡単にクビは切られません。だからこそ派遣労働者の方々にしわ寄せがいって、多くの人たちの仕事がなくなった、ということが起きました。

消えた飛行機

当時、中部国際空港、ここにエミレーツ航空が路線を飛ばしていました。
エミレーツ航空というと、アラブ首長国連邦の航空会社です。

エミレーツ航空・・・アラブ首長国連邦・ドバイを本拠地とする航空会社

アラブ首長国連邦のドバイと日本の中部国際空港の間を飛ぶ路線がありましたが、リーマン・ショックが起きて東海地方の自動車産業が急激に人減らしを行なった結果、中部国際空港からドバイへのエミレーツ航空の路線が運休になりました。

これはどうしてかというと、当時日系ブラジル人が大勢、日本の自動車産業で働いていました。日本はリーマン・ショックの前は景気が良かったので、直前に人手不足が起きていたわけですね。

しかし、外国人労働者を入れると色々とトラブルが起きる。それであれば、ルーツが日本の“日系ブラジル人”の人たちを入れればちゃんと働いてくれるだろう、という事で日系ブラジル人がたくさん自動車工場で働いていました。

そして、彼らが帰郷する時、つまり日本からブラジルへ帰る時、太平洋を渡る飛行機の路線を普通は思い浮かべますが、実はドバイ経由で大西洋を回ったほうが早くブラジルには帰ることができるんです。
だからエミレーツ航空を使って、ドバイ経由でリオデジャネイロやサンパウロとかを行ったり来たりしていました。
そんな理由で中部国際空港にエミレーツ航空が路線を持っていました。

ところが、自動車産業の仕事が激減し、日系ブラジル人がみんなブラジルに帰ってしまいました。その結果、利用者がいなくなって運休になってしまった、というわけです。思わぬところで影響が出た、こんなこともあったんですね。これもリーマン・ショックによる大きな爪痕ですね。

 

まとめ:最後に・・・

何事も活用の仕方次第

第1章からこの最終章、計4つの記事でリーマンショックについて深掘りしてきました。

これで最後になりますが、このリーマンショックから得られる教訓ってどんなことがありますかね?

色々ありますが、例えば「債権証券化」。

この“債権の証券化”という比較的新しい金融手法、本記事では諸悪の根元のように紹介しましたが、これ自体はうまくいけば非常に利益が上がります。

実際日本でもビルの売り買いをして、その債権を丸ごと証券にして、小分けにして一般の人に売る、というやり方をとったりしています。例えば、丸ごと商業ビルを買います。高層の商業ビルを買えば、それぞれの階に色々な企業が入りますよね。そうするとそれぞれのところの年間の家賃収入というのがあります。毎年必ず一定の家賃収入が入ります。

例えば100億円でビルを買った。家賃収入が年間5億円であれば表面的に利回り5%。銀行に預けていても金利1%にもならないので、十分旨味がありますよね。さらにこれを元にして金利3%の証券という形で小分けにすれば売れますよね。これは資金を集めるのに有効な方法として、今の日本でも不動産業界でこういうことが導入されています。

でもその一方で、ちゃんとリスクを管理しておかないと、思わぬことが起きる、ということがいくらでもあるということですね。

どんな時も冷静さを失うな!

「金融不安」っていうのは、案外と根拠のない噂や不安から起きたりするものですね。

フランスのヘッジファンドが「お金を返すのをちょっと待ってくれ」って言っただけなのに、世界中に不安が広がって取り付け騒ぎにまで発展して、結局は世界的金融不安になってしまったわけですから。

じっくり考えると、全然根拠のない事なんですけど、こういう事がきっかけで一挙に金融商品が叩き売られて、ほとんどが一時紙くず同然になったわけです。

そのあと、当たり前ですけど、これが一体どれくらいの損失が出ているのかきちんと詰めていったんですね。そしたら、そんなに紙くずには実はなっていなかったみたいです。

これって逆にいえば、ガクンと値下がりして、ほとんどゼロに近いような状態になった時にこれをコツコツと買い集めていたら、その後相当利益をあげる事ができたわけですよね。実際そういう人もいたみたいですしね。

そう言われたら、私の勤めている会社でも、当時とある管理職をやっていた人が、聞くところによるとリーマンショックで結構な額を儲けたって噂になっていました。真偽は知りませんし、それ以上の事も聞いていませんが。まぁでもそういう人がいても全然不思議じゃないですね。

そういう風に考えると、こういう金融不安が一気に広がって相場全体が絶望ムードになっている時でも「どれだけ冷静でいられるか」ここって本当に分かれ目ですね。これは私も大きな課題で、リスクテイカーとしてこれからもずっと意識し続けていく事だと思います。

とてもたいせつな“金融”という役割

また、実際のところ「不安という心理だけで世の中のお金の流れは止まってしまう」これも事実であり、とても大切な事ですね。

そうなると、金融不安っていうのは起こしてはいけないんですね。ということはどうするかというと、自ずと金融機関というのは保護され、守られる対象になってきます。

そうなると、次はこれに対する不満も起きますよね。

普通の会社が潰れたって国は助けないのに、銀行が潰れたら助けるんか!?不公平やろ!!

という意見も出てきます。まぁ確かに不公平ですけど、金融に不安が起きるとこんな風に実体経済にモロに影響が出るわけですしね。

この金融商品、何だか不安だわ

とまぁ、たかだかそれだけの事で、自動車が売れなくなってしまって、多くの人が職を失い、そして露頭に迷うような事が実際に起きたわけですから、金融システムっていうものは健全に保つことが実はとても大事なことだと、そう思いますね。

 

まだまだ深掘りすれば、これだけでも本が何冊も書けてしまうような奥深い歴史的経済危機なわけですけど、これだけでも大方の事は把握できるかと思います。投資家はもちろんの事、大袈裟な話、人類にとって学びと気づきのある史実だと思います。

これを活かしてどういう未来に繋げていくか、綺麗事じゃないですけど、やっぱりそういう部分が大切だと思いますね。