あきひろです。
年齢は30代、既婚、二児の父親です。
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【大枠】30代/既婚/二児の父親
20代終盤に結婚し、30代になってから第一子を授かり(女の子)、その3年後に第二子を授かりまして(男の子)現在子育て真っ最中です。
そして職業はサラリーマンという、ごく普通の家庭だと思います。
この“ごく普通”という事に対して、若い頃は全く価値を感じられませんでしたが、今となって思うのは、このごく普通という事がいかに恵まれており、ありがたく、そして幸せや豊かさを感じるには十二分な条件である、という事が心底わかるようになりました。
まさについ先日まで上の写真のような感じでした。なんたる幸せでしょうか。
こんな幸せな状態がこれからも続くよう、そしてさらに拡大できるよう、ただ1日1日を大切に、少しずつ自分を成長させていく事に淡々と精進していくのみ、であります。
【本業】海外関係の仕事に従事
さて、サラリーマンとしての本業では海外事業部門に所属しており、ちょくちょく海外出張に行っております。活動している相手国も仕事の責務に比例する形で増えており、結構色々な国に行かせて頂き、面白く感じています。
元々あちこち飛び回るのが好きなので、ほぼ趣味のような感覚です。
これはラッキーだったと思っています。
これからも増えていくと思われますので、ドキドキする事もありますが、貴重な経験なので引き続き楽しんでいきたいと思っています。
【副業】不動産事業を10年程度実施
ところで、世間が昨今の「副業ブーム?」の風潮になる前から副業に対してのメンタルブレーキは無く、2000年代後半に新卒で社会人デビューしてから、程なくして収入の柱を複数確保していく生き方を模索してきました。
そして、本当にそれを“普通の”感覚として持っていましたので、今みたいに『会社にバレない副業!』みたいな言葉が出ているだけで結構違和感を感じています。
バレるバレないとかそういう観点ではなく、そもそも隠しながらする必要などどこにも無く、ごく普通に一つの自分の人生の活動として考えれば良いのです。
どうしてもバレたくなければ、住民税の納付方法を特別徴収から普通徴収に変更手続きして、給与所得以外の所得に対して市区町村から送られてくる納税通知書に対して支払いをすれば回避できるので、大した事ではありません。
勤め先にあえてわざわざ不義理な事などする必要はありませんが、過度に悪影響が出なければ、基本的に何をしようが個人の自由ですね。
就業規則なんかで規制がある会社なんかもあるとは思いますが、本当にやってはいけないのであれば法律や条例なんかで規制されているはずです。
それどころか、複数収入源がある人用の税務申告の仕組みとインフラがバッチリ整っています。
「どんどんたくさん収入拡大して、どんどん税金納めてください」
昔からそういう枠組みが整えられているので、ただ遠慮なくやっている、そういう感覚でしたし、今もそうです。
そんな感じです。
何をわざわざ大袈裟に宣言する必要があるのか。
前からずっと白かったものをみんなで「黒だ黒だ」と言いまくって、今頃になって
そんな感じですね。
こういう世間の動きを見ていると、このようなごく当たり前の事を、さも世紀の大発見かのように取り上げ、それに伴って一大ブームが巻き起こるのもまた事実だという事。
そうなると、「在るものを在るがままに受け入れて行動する」こういう視点は時に周囲との軋轢を生じる事もありますが、こういう視点を人生の比較的早期の段階で身につけて行動できていたという事は、これだけで金銭には替え難い価値観を自然と身につけられていたのだな、と思うようになりました。
話が逸れましたが、そんな事で収入の多角化を模索していました。
とは言っても、時間を切り売りするような収入の得方は好みませんでした。
確かに収入は得られますが、時間が無くなります。
特に20代の頃は、副収入を獲得する事以上にやりたい事がたくさんあり、金銭よりも経験・体験を重視していました。
どこかで触れたいと思いますが、とにかく趣味を大事にしていました。当時は仕事よりも資産形成よりも、趣味に没頭していました。
その甲斐あって、現に20代独身の頃、本当に人生が充実していました。今も充実していますが、中身が違います。
そんな事で、目先のお金よりもその時の時間を何より大切にしていたので、極力労働をせずに収入が得られる方法を自然と考えるようになり、ごく自然な形で不動産との出会いにつながったわけです。
とは言ってもそこまでガッツリやったわけではありません。趣味を優先したかったからです。
その時々の縁で不動産事業所得をいくつか確保しただけでありますが、それでも特段自分自身が直接労働しなくとも、一定額が定期的に入金されるビジネスを持っておく事で随分と心にゆとりが生まれました。
そしてそれが結果的に本業の仕事へも好影響をもたらしている事実を感じる事で、このような収入を確保する形をさらに拡大していく事が自分の性に合っていると確信したわけです。
一方で存在する不動産のめんどくささ
資産の持ち方は色々あって、どれも相応の良さがありますが、『不動産』は自分と相性が良かったと思っています。
ですが結構面倒な事が多いと感じるのも事実です。
所有しているだけで固定資産税はかかり、収益を産んだら産んだで評価額に応じて税負担は増えます。
土地を事業利用してもらうにしても、賃貸物件のオーナーになるにしても、「利用者との関係」というのが自ずと発生します。
それ自体は決して嫌いな事では無く、むしろ好きな事なのですが、本業での繁忙期や、海外出張の最中に何かあった場合に速やかに対応できない難しさがあります。
そういう事を考えると、あるとき不動産一本で資産を拡大させていくのに少し難しさを感じはじめました。
さらに資産運用というジャンルをトータル的に見た時に、やはり他の事へも分散させておく事が賢明かとも考えました。
さらにもう一つ。このように不動産を活用して収益を得る仕組みを、「不動産投資」と言われる事が多いので、あたかも『投資』の一つとして考えがちですが、これはどちらかというと投資というより『事業』ですね。
実際、年度末の確定申告で不動産の収益に対して税務申告する際は『不動産事業』となっています。
そのため累進課税となり、所得が増えるに応じて税率も相応に上がっていきます。
実際体験してみると、これが資産形成の大きな重荷になってきます。
しかも結構きついのが、その所得額に応じて住民税が徴収され始めるにはかなりの時間差があります。
なので、収入を得たからと言って、手元にあるお金を、すぐに「おいそれ」と次の運用に回しにくい歯痒さがあります。
それ以外にも、我が家のような保育所に頼っている世帯は、その保育料の算定も地方税と関係を持っているため、色々な出費のベースアップが図られてしまい、「やってる割には実りが少ないな」と感じてしまいます。
【株式投資本格化】資産運用の多角化を図る
そして、極め付けのエピソードとして、私が所有している土地の一部が自然災害の影響で事業用地として再起不能となってしまい、堅牢強固と信じていた私の貴重な収益の一本の大柱が倒れてしまいました。
これは正直想定外でした。不動産の収入というのが相当に手堅いものだと信じ切っていただけにショックもひとしおでした。
それを受けて、それだけに頼り切った資産形成をするのはリスクが高いと痛感し、昔から片手間にやっていた株式投資にも本腰を入れて取り組む事にしたわけです。
そんなわけで、改めて向き合ってみると、株式投資が俄然魅力的に映ってきました。
換金性・流動性の高さ、分散する事でリスクを最小限に抑えられる。
そして何より魅力的なのは税制面の優遇です。
NISAはもはや説明不要ですが、通常の運用でも税率は20.315%で固定。運用額の規模に関わらず一定率で、しかも特定口座で運用すれば源泉徴収されるので、初めから「洗浄された」お金が手元に残ります。
これは株式投資ならではの魅力で、上述の悩みを一挙に解決する事ができます。
【目標設定】『2030年5億円計画』
そのようなきっかけで株式投資に注力する事を決めたわけですが、目標として設定した『2030年に5億円を運用する』というターゲット。
大してこだわりのある目標ではありませんが、何かしらロードマップを設定したいと考え、なんとなくふと頭をよぎった数字をそのまま根拠無く設定したわけです。
しかし「人間の直感」というのは結構侮る事ができず、自身でも意識できていない事を本能が指針として指し示してくれるという事もあるものです。
なので、とりあえず、『2030年5億円計画』これがスタートしたわけです。
そして、ぼんやりとしていてもあまり具体性がありませんので、実際のところ「2030年1月1日」になった時点で運用資産額が5億円になっているためには、一体、今運用している資産をどれくらいの利率で運用していけばそこに到達できるのかを具体的に計算してみたその結果が次の利率になります。
この試算を行った2018年9月6日時点の運用資産額6,037,564円に対しての目標運用成績になります。
平均的にこのパフォーマンスで運用していった場合、2030年1月1日時点で運用資産額は500,673,726円となり、5億円を超える事になります。
そのパフォーマンスをグラフ化した理想的な資産運用額の増加推移が以下の形となります。
これは積み上げグラフですが、折れ線グラフだと、下のようにまさしく絵に描いたような二次関数的曲線を描きます。
「どうやって実現するのか?」そういうガツガツしたモチベーションでは無く、一つのガイドラインとして、このラインに沿ったパフォーマンスになるよう、日々株式投資と対峙していきたいと思います。
単純に上記で算出した利率を用いて機械的に算出すると、毎日・毎日、その日に到達しているべき運用資産額が見えてきます。
それをここでは『目標基準額』と称し、日々追いかけていく事にします。
例えば、当記事執筆時点の運用推移とこの目標基準額を重ねてみると以下の形になります。
ぶっちゃけわかりにくいので、拡大して5ヶ年で見てみます。
これだとわかりやすいです。
2018年末に超悲観的相場で急落し、2019年はGW明け、そして夏の終わり頃と両方とも米中関係の悪化によってパフォーマンスが下落しましたが、その後はなんとか付かず離れず追いかけています。
相場環境が好転した事もありますが、2019年は大きく資産を拡大させる事ができました。目標値である年利40%には届きませんが、それでもまぁまぁです。
このように目標となる基準が常に視覚化されている事で、自ずと潜在的にそれに導かれるような行動を取るのだと思います。
このやり方はそれなりに有用だと確認できた事で、これからも引き続き基準値を追いかけていきたいと思います。
【目的】セミリタイヤ?いや、特に無い。
しかし一方で、この株式投資に対する目的は「特にない」というのが実情です。
昨今、株式投資も随分と一般的なものとなっていて、「これによって不労所得を得てセミリタイヤする!」という人も散見しますが、私個人としてはさほどセミリタイヤに魅力は感じていないのが正直なところです。
そもそも会社が嫌ならつべこべ言わず今すぐとっとと辞めれば良いわけですね。
「会社勤め」というのは思いの外、人生の土台を形成しています。特にここ、日本ではそうですね。
職業柄、日本以外の海外諸国での働き方や仕事感、個々人との勤め先との関係、そういうもが目に触れる機会が多いので思いますが、日本のサラリーマンというのは、ある意味『特権階級』かとすら思えるほど恵まれています。
時折非合理で理不尽に思う事もありますが、どこで何をしても“課題”というのは存在します。総じて恵まれていると言えるでしょう。
いや、むしろそれらの「嫌だな」と思う数々の事が、実は上記の特権階級たらしめる何かを根底から支えていたりするのが事実でしょう。
どうしても嫌なものは仕方ないでしょうが、それがただの傲慢から来るものであれば、例え色々やってセミリタイヤしたとしても、なんらかの形で人生にしっぺ返しがあるでしょう。
論拠は無いですが、人生とはそういう構造になっていると考えると辻褄が合うことが多いです。
実際のところは相当な恩恵を授かっているにも関わらず嫌々仕事をするなどというのは、はっきり言って何の生産性もない、迷惑でしかない存在でしょう。
仕事が嫌であれば、やるべき事は明確で、自分がそれを好きになれるよう努力するか、代わりにその仕事を喜んでする人のために極力早期に席を空けるか、ですね。
私の場合、ありがたい事に仕事が楽しいので、『資産形成』を良くある「会社を辞めるための手段」としては考えていません。(少なくとも現段階では・・・)
しかし、同じ仕事をするにしても、頑強な経済基盤を足元に敷き、「好きだからそれをしている」という心持ちを常に持ち続けるのと、とにかくお金を稼がなきゃいけないから「なりふりかまっていられない」という心情であるのとではエライ違いです。
同じ時間、同じ事をして過ごすにしても、前者の方が圧倒的に豊かな人生が送れる事は間違いありません。そこの領域に辿り着きたい、という形ですね。
また、高い目標を掲げつつも、ある程度は軽いノリで取り組みたいと思っています。
投資成績の歩みを記録し始めて1年以上が経過していますが、当ブログにしても私生活にしても「投資一色」というのは、何ていうかあまり魅力を感じられないのが正直なところです。
お金を増やす行為そのものが面白いので、そこはまぁ良いとしても、結局お金なんてものはそれをどう活用するかが真価であり、死んだあとはそんなものは何の価値もない。
「天寿を全うし終えるその直前が一番お金持ち」とかには魅力は感じられないし、その後に相続税で大半が無くなったら何のために生前に資産形成したんだ、という事になりますしね。
それどころか、莫大な遺産を巡って残された親族が骨肉の争いをしたりするような事になったら、自分の人生が死後の膨大な不幸を作る為の人生であったと、図らずともなってしまいます。
結局努力をして、結果、残った家族を苦しめる。
そんな愚かな末路は避けるべきですね。
本当の豊かさとは何なのか、ここは追求する価値が大いにあります。
そういう事で、更新頻度も内容もとりわけこだわりはありませんが、「豊かな人生」という観点が基本になってくると思います。
資産形成はその手段の一つ、という程度でしょうか。
それではまた。