2030年に運用資産額5億円到達を目標にしている”あきひろ”です。
経済ニュースを深く理解するために現代史を並行して勉強していますが、歴史との繋がりに行き着きました。
という事で、広く浅く時に深く、歴史についても記事にしていきたいと思います。
ヨーロッパと中東は既に記事にしていますが、今回はインドの歴史です。
インドもあまり馴染み無いんですが、これも面白いです。
インドの特徴としては「多様性をバラバラなままに包み込む」という世界観です。
気候・民族・宗教・言語・生活習慣もバラバラ
そんな中での身分階級制度『ヴァルナ制』、多神教『ヒンドゥー教』
この多様性こそがインドの歴史のカギになります。
Contents
インダス文明
まずこのインドにおける文明の起源として有名な『インダス文明』
このインダス文明の中で出てくる有名な遺跡が『ハラッパー遺跡』と『モエンジョ=ダーロ遺跡』
これらはエジプト文明とかメソポタミア文明より時代が後ろなんですが、街づくりが凄い、つまりは城塞とか住宅も立派で、下水道網なんかもしっかりと整備されていて街としての完成度が高いことで有名です。
そして『インダス文字』。メソポタミアの楔形文字が世界最古だという話は中東の歴史で出てきました。
このインダス文字はそれより後のものです。しかもミステリアスな部分としては、なんと現代でも未解読だというので面白いですね。
【アーリア人流入】小国分立
インダス文明を作った人々は南インドへ
そんな、高度な街づくりと未解読のインダス文字があったインダス文明も衰退していくわけですが、そんな頃に北西から流入してきたのが『アーリア人』です。この民族がインド北部に定住し始めたことで、元々インダス文明を繁栄させていた『ドラヴィダ系民族』はインドの南側に追いやられていきます。
インド=ヨーロッパ系の民族であるアーリア人が中央アジアから北インドに定住することで、インドの文化を形成を今日のインドの文化の基礎を築き上げて、さらにはガンジス川の流域を中心にたくさんの国家を形成して「小国分立」と呼ばれる時代を作ります。
ザ・階級制度『ヴァルナ制』
そしてこのアーリア人が持ちこんだ文化の一つが『ヴァルナ制』という身分制度、階級社会。
今日のインド特有の身分概念『カースト』と呼ばれているものですね。
トップに司祭階層の『バラモン』、王侯・武人などの政治・軍事的な支配者改装の『クシャトリア』、農民・商工業などの庶民階層の『ヴァイシャ』、奴隷である『シュードラ』の4階級です。
ヴァルナ制
- バラモン・・・司祭階層:神聖視される
- クシャトリア・・・王族・戦士:政治・軍事を担
- ヴァイシャ・・・平民:商業、農牧、製造業に従事
- シュードラ・・・隷属民:被征服民、被差別者
こんな風な階級制度で国の統制をしていたわけですが、バラモンが一番偉いんだと威張りちらすバラモンへの批判は徐々に高まって、人の心は離れていきました。
そして、徐々に別の信仰対象を求め始めたわけですね。
仏教の祖『ガウタマ=シッダールタ』の登場。『ブッダ』
この頃登場したのがガウタマ=シッダールタ、『ブッダ』ですね。
このブッダ、「王族」つまりは支配者階級として生まれながらも、「これで良いのか?」と権威主義に疑問を持ち始めて、ついには王族の暮らしを捨てて出家します。
『生老病死(しょうろうびょうし)』
これらの「人が生きる根源的な苦しみ」というものに向き合い始めるわけです。
そもそも、「人が生きることに苦しみや空しさを感じるのは煩悩、すなわち『欲』があるからだ」という考えに行き着き、その欲を捨てるために厳しい苦行を行います。
断食して食欲を捨てようとしてみたり、息を止めて死ぬ寸前まで体を痛めつけたりとストイックな苦行に日々を費やしますが、その度に食欲や生への『執着』も同時に膨んでいくものです。
『欲を捨てようとと思えばさらに欲に囚われる』
こういう事ですね。
では、『欲を捨てようとする欲』も捨てるには、結局は
「欲を程々に満たして、それ以上に求めないこと。ただ正しい行いを実践するのみ」
と、悟ります。
このように「生の苦しみから『解脱』する事」を人々に解き始めます。
このブッダの考えはクシャトリア階級から始まって、支配者階級社の精神的な拠り所となっていきます。
支配階級にいても悩みが尽きないのが人なんですね
ちなみにこの頃、仏教に並んで『ジャイナ教』というものできました。
程々に欲を満たす仏教に対して、『無所有』などの戒律を徹底して行う、よりストイックな形ですね。
これは商人中心に広がり、文字通り「無所有」なので、皮肉にも「お金を使わず一周して大金持ち」という人が多いのが特徴です。
【マウリア王朝】インド初の統一王朝誕生
アレクサンドロス大王の猛攻
ちょうどこの頃、アレクサンドロス大王率いるマケドニア王国は東方遠征によりペルシアを滅ぼしてインドまで来ていました。
少し復習ですが。古代ヨーロッパ、大小様々な都市国家『ポリス』の時代です。中でも強力だった「アテネ」と「スパルタ」がよくどんぱちやってた頃に、東に攻めて一気に領土を広げたマケドニア王国の若き王ですね。
遠征途中、インド手前で病死してしまいます。
ってやつですね。
そんな天才アレクサンドロス大王が来るという事で、小国分離の分裂状態ではとても太刀打ちできないので、各国一丸となって統一王朝ができるわけです。
そうしてできたのがインド初の統一国家である『マウリア朝』ですね。
【アショーカ王】仏教の政治利用
その時に活躍したのが『アショーカ王』です。
マウリア朝を作ったのは初代王のチャンドラグプタ
そしてそこから拡大させて南端を除くインド全般を統一したのが3代目のアショーカ王です。
この時大きくなった国をまとめるのに活用したのが、既にこの少し前から人気の出てきていた『仏教』の力なんですね。
結局のところ武力だけで国を統制していくのには限界があって、争いも起きやすくなります。
「考え方」や「思想」こういったものを拠り所にすることで国を安定させたわけですね。
【クシャーナ朝】【サータヴァーハナ朝】
『シルクロード』交易によって栄えた『ガンダーラ地方』
マウリア朝が崩壊してからできたのが『クシャーナ朝』と『サータヴァーハナ朝』です。
クシャーナ朝というのはインドの北寄りであり、これがクシャーナ朝の特徴です。この地域は『ガンダーラ地方』と呼ばれて、東西に陸路でシルクロードが通過する場所でもあります。
そんな事でこの地方はとても栄るわけですね。
中国・ペルシア・ギリシアの東西の文化が常に流入する形になります。
その結果、ここで取引されているもの、例えば仏像なんかは仏像なのにギリシアの影響を受けて鼻が高かったりするんですね。
一方、サータヴァーハナ朝は南のエリアなので海が近く、海を超えてローマ帝国とか中国とかと貿易をしていました。
なのでこの二つクシャーナ朝とサータヴァーハナ朝は南北で全然違う栄え方をしました。
【ナーガールジュナ】『大乗仏教』の創設
サータヴァーハナ朝ではナーガールジュナという人物が活躍します。
当時、仏教はあくまでも個人が「生老病死」という苦しみから解脱するという「個人の悟り」だったのに対して、ナーガールジュナは仏教を進化させて、「これでみんなを救おう」という大乗仏教に進化させました
このように作り変えたことで政治に利用しやすくなり、その後、日本・朝鮮・中国などの東アジアにも輸出されて、今私たちがよく知る仏教の基礎になったわけですね。
時の権力者が国を統制するにの使いやすくしたわけです。
マウリア朝のアショーカ王は仏教を単純に利用したのに対して、ナーガールジュナはそれを政治に使いやすくした
こういう流れですね。
【グプタ朝】南北の時代の終焉
『ヒンドゥー教』の誕生
クシャーナ朝とサータヴァーハナ朝の南北の時代が終わり、『グプタ朝』が成立します。
このグプタ朝の最大の特徴というのは『ヒンドゥー教』が誕生した事です。
このヒンドゥー教、はバラモン教をベースに様々な民間信仰を混ぜ合わせた『ザ・多神教』とも呼ばれる多神教です。
なんなら仏教のお釈迦様も『ヴィヌス神の化身』という事で取り込み、お釈迦様もヒンドゥー教の中の無数の神の一つという解釈にしてしまいました。
色々な宗教の神を受け入れ、それぞれをヒンドゥー教の一つの神とする世界観です。
そして、インドはもともとヴァルナ制を取り入れた階級社会が根底にある文化圏です。階級制度によって人々をコントロールしてきた歴史が根深くあるわけですね。
そこでそのヴァルナ、つまりはそれぞれの身分において存在する『義務』を記した『マヌ法典』というのをヒンドゥー教徒の生活の規範としました。
結局この事により、上の身分には上の身分、下の身分には下の身分の規範があるという考え方が生活の中に根深く植え付き、今日のインドの身分格差を埋まらなくしている原因にもなっているわけです。
『西遊記』の玄奘で有名な三蔵法師
このグプタ朝が崩壊して次にできたのが『ヴァルダナ朝』
このヴァルダナ朝は一代限りの王朝で短命に終わりますが、三蔵法師で有名です。
西暦602年から664年まで生きた中国・唐の時代の和尚さんである、『玄奘(げんじょう)』という人物、この人が仏教を学びにヴァルダナ朝に行ったんですね。
簡単に西遊記のお話を振り返って見ます。
- 猿の妖怪・孫悟空(そんごくう)
- 河童の妖怪・沙悟浄(さごじょう)
- 豚の妖怪・猪八戒(ちょはっかい)
これらを引き連れて、天竺(てんじく)までお経を取りに行くという物語です。
仏教の本場であるインドまで仏教典を取りに行って学ぼうとしたわけですね。
この玄奘が追い求めた天竺がこのヴァルダナ朝に実在しているというわけです。
『ヴァルダナ朝滅亡』分裂期
そしてこのヴァルダナ朝が滅亡した後は約300年間、インドは長らく分裂状態に入ります。
王朝が生まれては消えて、その度に抗争を繰り広げる混沌とした状態が続いたわけです。
【イスラーム勢力】ヒンドゥーとイスラーム
『奴隷王朝』と『デリー=スルタン朝』
この頃から、イスラーム勢力がインドを取り仕切っていく事となります。
中東の後半に『イルハン国』や『ティムール』の登場がありました。
その頃、東の方でトルコ人奴隷が反乱し、その流れで建国した『奴隷王朝』というのがありました。
そして300年近くに渡り、『ハルジー朝』『トゥグルク朝』『サイイド朝』『ローディー朝』と5代続き、これら一連の王朝を総称して『デリー=スルタン朝』と呼ばれています。
都をデリーに置いたためにそのように言われるようになったわけですね。
『ムガル帝国』インド最強のイスラーム国家の誕生
そしてその後、インドのイスラーム王朝として最強の『ムガル帝国』が作られます。
ムガル帝国初代皇帝の『バーブル』は中東編で登場した鬼武者ティムールの子孫です。
鬼武者ティムールとは、盗賊のドンから成り上がって建国し、攻めに攻めまくって勢力を拡大した人物。
ヨーロッパともやり合い、オスマン帝国を追い返し、死ぬ直前は明にも攻め込もうとしていました。まさに鬼武者です。
最後はその子孫がインド最強国家を建国する、という流れですね。
『水と油』ヒンドゥー教とイスラーム教
インドにイスラーム勢力が来て、何より難しかったのが宗教摩擦です。
イスラーム教は『一神教』です。アッラー以外の神を認めないという典型的な一神教である一方、ヒンドゥー教はその真逆の多神教です。
まさに水と油とはこの事です。
ムガル帝国は拡大すればするほど、従前のインドの大半を占めていたヒンドゥー教徒と新たにきたイスラーム教との間で摩擦が生じるのは明らかです。
そんな時活躍したのが、3代目皇帝の『アクバル』という人物。この人物はインド史上最高の英雄とされているので覚えておかなければいけないです。
ムガル帝国繁栄に伴って激化していくこの2つの宗教対立はアクバルにとっても本当に頭の痛い問題でした。
色々と策を考えた結果、この2教の融和のために、イスラーム教徒である自分がヒンドゥー教の妻をもらう事にしました。すごいですね。
さらにイスラーム教とヒンドゥー教との間にある税制上の不平等さも無くし、その結果国に安定をもたらしたという業績により、『インド史上最高の名君』という風に言われています。
『タージ・マハル』愛する妻へ世界一美しい墓を
ちなみに、ムガル帝国5代目皇帝『シャー=ジャハーン』は妻の死を嘆いて白大理石で世界一美しい墓『タージ=マハル』を作ったことで有名です。
そしてさらに、自分が死んだ時用に黒大理石でもう一つ建設する予定で土地まで用意していたのに、国家予算を使い込む事に危惧した息子が反乱を起こして牢屋行きになりました。
そして、死後は妻の棺の横
野心家の息子。ムガル帝国を最大領地へ
親父を牢屋に入れた、そんな野心家息子の6代目皇帝『アウラングゼーブ』は精力的に遠征し、ムガル帝国史上最大の領地を作る事に成功します。
しかもアウラングゼーブは熱心なイスラーム教徒で、アクバルが行ったヒンドゥー教とイスラーム教との間の融和政策を否定し、せっかく無くしていた両教徒間の税制上の不平等を復活させてしまいます。
このようにヒンドゥー教徒に厳しい政治を執り行った事で、インドの人口9割を占めるヒンドゥー教徒が反発し、各地反乱が頻発します。
【絶頂期は転落の始まり】やがて『植民地時代』へ
奇しくも最大領地まで広げたアウラングゼーブ時代、この頃からヨーロッパ諸国勢の海外進出によって、イギリスがボンペイやカルカッタを、フランスがシャンデルナゴルやポンディシェリなどの町を植民地化し始め、絶頂期を迎えた後に転落を歩んでいくわけですね。
そして、世界は大航海時代へと突入していく事になります。
まとめ
4代文明の一つである『インダス文明』の発足地であり、『多様性』というキーワードで展開させられるインドの歴史。
ブッダによる仏教の発足と、それを大乗仏教に進化させて、後に各アジア地域へ輸出する礎を作ったナーガールジュナ。
色々な多様性をそのまま世界観に映し出しているヒンドゥー教の発足。
今日まで色濃く残り続ける『階級社会』
イスラーム勢力の流入から大帝国『ムガル帝国』の建国
そしてイギリス・フランスによる植民地化
一記事でサッとまとめましたが、非常に面白いです。
インドはここ10年以内に中国を抜いて人口世界一位の強国となると言われています。
その国を知るには歴史的な中身を知っておく事が理解を大きく助けます。
それではまた。