2030年に運用資産額5億円到達を目標にしている”あきひろ”です。
経済ニュースを深く理解するために現代史を並行して勉強していますが、歴史との繋がりに行き着きました。
という事で、広く浅く時に深く、歴史についても記事にしていきたいと思います。
今回は中東の古代から中世までをお送りします。
中東は難しいイメージありますよね。なんせ馴染みないですし。
旅行で行くイメージもないですが、この中東というのは古代・中世に於いてはヨーロッパの最大のライバルです。
ここがわかれば、ヨーロッパの歴史もより一層面白くなります。
【中東】古代
世界4大文明のうちの2大文明を持つ場所
どんなエリアかというと、まずはエジプト文明とメソポタミア文明を両方持っている地域。
エジプトといえば最大の建造物“ピラミッド”
そしてスフィンクス
メソポタミア文明は『楔形文字』と「目には目を歯には歯を」でお馴染み『ハンムラビ法典』
楔形文字って世界最古の文字ですし、ハンムラビ法典もあって巨大建造物もあってと、相当な先進国ですね。
また中東の古代というと、「メソポタミア」「エジプト」のイメージが強いですが、この頃のシリア、パレスチナは鉄を使ってました。世界初です。
それまでの青銅の武器に比べると刃こぼれしにくく折れにくい鉄製武器は周辺諸国にとっては驚異でした。
日本でも青銅から次第に鉄に変わっていきますが、ここは既に鉄を使っていたという事ですね。
文字に関してもアルファベットの語源になった文字もありました。
一文字目がアレフ、二文字目がベートゥ、それがギリシャ文字に輸出されてアフファとベータになってアルファベットになりました。
アルファベット作って鉄作って巨大建造物作って法典作ってすごいです。
オリエント統一で中東統一
メソポタミア・エジプト・シリア、そんな各地域の小国家ができたわけですが、そこからさらにそれらの地域を一気に統一する巨大国家ができます。
それが「オリエント統一王朝」
これを最初にやった国が『アッシリア』。
そのアッシリアは反乱であっけなく分裂し、4つの王国に分立しました。それをさらにもう一度再統一したのが『アケメネス朝ペルシア』です。
この当時は専ら武力中心の世界です。
争って勝った方が征服して統一。そんな時代です。
でも国が大きくなったので統一するのが難しい・・・とか言ってるうちにあいつが来ます。
天才アレクサンドロス大王の侵攻
そう天才大王“アレクサンドロス”。
アレクサンドロスは若くて20代後半から30代前半にかけてマケドニア王国の領土を一気に拡大させました。
アレクサンドロスに関しては「ヨーロッパの古代・中世」の記事で詳しく書いてあります。
ギリシャの上の方でアテネとかスパルタとかがばちばちやってる間に
って言って一気に攻めて、領土を拡大させた天才です。
今でも英雄代表と言われるぐらいの英雄中の英雄。
そんなアレクサンドロス大王はインド辺りまで領土を広げて遠征していた絶頂の頃に病死してしまいます。
死ぬときに言った
この無責任発言によって、部下が争いまくって国が滅びます。
後継者をうまく作れませんでした。
という事は次の国を作れなかったので、そこがちょうど空くわけですね。
ローマ帝国のライバル『パルティア』『ササン朝』
空いたところにイラン人国家ができました。
元々イラン人がいるので「ここ俺たちの国だよねぇ」
そうして『パルティア』とか『ササン朝』てのができました。
これらのヨーロッパのライバルが『ローマ帝国』になります。
『共和制ローマ』の時代から戦っていたのがパルティア
『帝政ローマ』や『ビザンツ帝国』と戦っていたのがササン朝ペルシア
そうして長年に渡って抗争し続けました。
覇権を取るのは果たしてヨーロッパなのか、中東なのか、そういう風に争っていたことが次のストーリーに展開していきます。
イスラム教の成立
【メッカ】2大帝国の争いによって経済発展
この長い戦いの中、ビザンツ帝国はトルコやエジプトのあたりまで攻め込んできています。
それに対してササン朝ペルシャがイラクやイランあたりで奮闘します。
そうなると、交通する場所がなくなってきます。戦闘地域は危ないですから。
商人も行き来できないので、商売なんかに支障をきたします。
なので、ちょっと迂回して交通するようになりますが、そうやってできたのが、サウジアラビアのアラビア半島を経由してぐるっと回るルートです。
そこの通商ルートが確立した事によってアラビア半島の西海岸側が栄えました。
そこの都市が『メッカ』です。
【商人ムハンマド】啓示を受けて預言者に
こんな状況のメッカで登場したのが、『ムハンマド』です。
預言者ムハンマド。イスラム教の教祖です。
「ローマ vs ビザンツ帝国」
「パルティア vs ササン朝ペルシャ」
これらの争いによって通商ルートが変わったことがイスラム教が生まれるきっかけになりました。
通商ルートが新たなルートになった事でそこにあるメッカが経済的に栄えますが、その事で貧富の差も生まれます。
豊かになるのは良い事なのですが、こうした波にうまく乗れた人たちと、そうでない人との間に貧富の差ができてしまうと、どうしても不満が生まれたりします。
お金が無い時は苦しいながらも仲良くやっていたにも関わらず、お金を手にした事で社会の分断や対立を招いていきます。
メッカの貧富の格差からの対立に悩んでいたムハンマドは、ある日の瞑想中に『天使ガブリエル』と出会い、教えを授かりました。
ムハンマドというと、30〜40歳くらいまでは普通に商人をやってたてた人で、そんな人がいきなり「予言を受けた」って言い始めて、そこから人々に教えを説き始めるんですね。
「ただ1つの神の前の絶対平等」
とか
「一つの神様だけ信じて、その神様の前で祈ればみんな平等だ」
「一つの神様の前に祈りをすれば、それさえすればでみんな平等」
こういうシンプルな教えを説いたわけです。
【聖なる移動】イスラム元年
それに対して貧富の格差に苦しむ貧しい人たちなんかは、一同に「そうだ!そうだ!」とムハンマドになびいた一方で、富裕層なんかは、この教えが自分たちを攻撃する危険な思想だとして迫害されたりします。
そうして身の危険を感じたムハンマドはメディナという町に逃げ、そこで信仰を広げていきます。
この移動の事を『ヒジュラ』(聖なる移動)と言って、ムハンマドの活動の「原点」とされています。
イスラム暦の元年となります。
イスラムによる支配
メディナで安全を確保して力を蓄えたムハンマドは、再度メッカに攻め込み攻略しました。そうして改めてメッカを聖地として定めました。
そうして信者を増やしながらアラビア半島のほぼ全域を支配下に治めることに成功しました。
このようにしてイスラム教の時代を作っていったわけです。
これが今後イスラム社会全体・中東社会全体を飲み込むムーブメントになっていきました。
これまでは武力のみで繁栄してきましたが、この時代からは宗教的な教えとか思想とかっていうものが人間を束ねていくっていうきっかけになったわけですね。
【宗教対立】ユダヤ教、キリスト教、イスラム教
元々ユダヤ教がベースです。
そこからキリスト教に派生し、さらに派生したのがイスラム教です。
だからユダヤ教とかキリスト教を継承しています。
ユダヤ教で神の言葉を授かった『モーセ』
キリスト教ではそれが『キリスト』
イスラム教ではそれが『ムハンマド』
という事でこのムハンマドというのは『最後の預言者』と言われています。
その意味はモーセ、キリスト、ムハンマド、ときたバージョン3という事なんですね。
そういう事を言ってるんですが、その前のキリスト教では
ユダヤ教的には
みたいな感じで仲が悪かったりしますけど、こんな感じでムハンマドがやっていくわけです。
さっきも述べたように、イスラム教の最大の特徴は「ただ1つの神の前の絶対平等」です。
『アッラー』と言われる唯一の神を信じて他の神を認めません。そもそもこのアッラーという言葉、アラビア語で『神』の意味の言葉です。
キリスト教のGod、つまり英語で『神』
そしてユダヤ教の『ヤハウェ』、これはヘブラ語で『神』の意味
全て「神」です。異教の神を「異なる神」と認める事は、イスラム教の「一神教」の前提を崩す事となるため、この3つの異なる宗教の神は「同じ神」という解釈になります。
この同じ神から教えを授かったものが
「モーセ」だけなのか(ユダヤ教)
「イエス」もなのか(キリスト教)
「ムハンマド」もなのか(イスラム教)
ここがこの3宗教の違いであり、常に対立を生む争点であったりもします。
後継者選びが難しい
これは、アレクサンドロスの時と同じですけど、後継者選びが難しいです。
アレクサンドロスの「最強のやつが・・・」で争ってしまったわけですが、このムハンマドも後継者を指名する事まではできませんでした。
指名せずに突然死んでしまいました。
だから最初は選挙していました。
「教的指導者」つまりナンバー1、その人の事を「カリフ」って言いますが、その信者の選挙により「正しい手順を踏んで選ばれたカリフ」という意味の「正統カリフ」がイスラムを治める「正統カリフ時代」という時期がありました。
そんな感じで
って事で選挙して決めていましたが、その中でもだんだんと実力者が出てきて
って言い出すやつとかが出てきました。
イスラム勢力による巨大アラブ人国家が誕生していく
スンナ派・シーア派
でも「そんなわけいくかー」って言って「決め方決めようぜ!」って事で出てくるのが、『スンナ派』『シーア派』です。
よくニュースでも「スンナ派が・・・」とか「シーア派が・・・」とかってこの言葉が出てきますが、意味わかんないですね。これは簡単です。
要するに
っていう派閥と
という派閥
“しーや”」の『シーア派』
「後継者は子孫に“すんな”」の『スンナ派』
「子孫にという風に覚えれば簡単です。
実はスンナ派の方が多いんですね。シーア派の方は少ない。
やっぱり前線でやってる実力者の方が強いんですかね。
【ウマイヤ朝】超大国になるも不満の鬱積で崩壊
まずはこのスンナ派が執り仕切っていきます。「ウマイヤ朝」っていうのを作ります。
この国が凄かった。当時のヨーロッパの核心である『フランク王国』にまで攻勢していき、破竹の勢いで勝利していきます。
結果、イランからイベリア半島(現代のポルトガル・スペインの在る半島)までの巨大国家になりますが、内部からほころび始めます。
ウマイヤ朝、アラブ人の国家でしたが、勝利を重ねるうちにイラン人やヨーロッパ人など様々な民族が一緒になりましたが、税金の取り方なんかが結構あやふやで、アラブ人を優遇しすぎた事で反発を受けてます。
そもそも「神の前の平等というからイスラム教を受け入れたのに、アラブ人だけが優遇されて不公平じゃ無いか!」
という事で征服地のイスラム教徒が猛反して潰れます。
【アッバース朝】平安の都*バグダード
そして次に統治した「アッバース朝」はそのあたりの税制面のアップデートから着手して税制上の不平等は解消されて不満を修めることに成功しました。
イスラム教のアラブ以外の民族たちも抱えるくらい巨大になり、他の民族も寛容に受け入れるようにしていった事で大きく繁栄します。
その時に栄えたのが首都のバグダードです。
イラクのど真ん中、この中東のど真ん中に栄えます。
通称『平安の都』(マディーナ=アッサラーム)。その名の通り繁栄と平和を押下する大都市になります。
中東のイメージを代表するアラビアンナイトの世界観なんかもこのバグダードの世界観がモチーフになっています。すごいですねバグダード。
中東戦国時代
こうして長期に渡繁栄したアッバース朝ですが、次第に“シーア派”が盛り返してきて、西はエジプトと東はイランの両サイドから攻めてきます。
エジプトからは「ファーティマ朝」
イランからは「ブワイフ朝」
この二つのシーア派の国家に挟まれて、中東地域を東西にドーンと広がっていたアッバース朝がこの辺りでギュッと縮まります。
ちなみに、ヨーロッパ西側のイベリア半島にはウマイヤ朝の生き残りが建てた『後ウマイヤ朝』というのが成立していました。
この『後ウマイヤ朝』『アッバース朝』『ファーティマ朝』
皆それぞれ「カリフ」を自称し、一人の指導のもとで広く信者を組織していくムハンマドの伝統が失われて、中東はしばし戦国時代のような様相になります。
そんな中、ブワイフ朝がアッバース朝のバグダードを占拠し、アッバース朝のカリフから支配権をもぎ取りますが、そのあとで、トルコ人王朝が中央アジアからアラビア半島に勢力を広げて、ブワイフ朝に占拠されていたバグダードを奪います。
そしてブワイフ朝を退けてそこで作ったのが『セルジューク朝』です。
【セルジューク朝】トゥグリル・ベク「鷹の君主」
トルコは立ち回りもすごく良かったのです。
元々スンナ派が主流であった流れにシーア派の巻き返しがあってここに至っています。
そこでトルコは「僕たちはスンナ派です」って言って、元々多勢のスンナの主流を味方につけたわけです。
その時活躍したのが『トゥグリル・ベク』(通称:鷹の君主)です。
このトゥグリル・ベクがバグダットを奪い返してスンナ派の人たちに
って言って、その時のカリフをしっかりと立てます。
と言ってシーア派からブワイフ朝から解放してもらった御礼として、アッバース朝のカリフはトゥグリル・ベク に“スルタン”という称号を与えました。
このスルタンというのは日本史で言うと天皇に対しての征夷大将軍みたいなものです。
こういうことです。
宗教的指導者のカリフが実際の世界の統治権を与えて、代わりに納めさせるという役割を果たします。
こう言うところがトゥグリル・ベクは上手だったわけですね。
あまりにも凄くてバグダードを取り戻したどころか、あの聖地エルサレムをも占拠します。
これが次の展開の引き金となります。
【十字軍】キリスト教によるイスラム教からのエルサレム奪還
ここで始まりました。イスラム教によるエルサレム占拠が始まったところでくるのが、か の有名な十字軍です。
この頃、このセルジューク朝の拡大はヨーロッパにも影響を与えていました。
エルサレムを独占するまでに勢力を拡大していくセルジューク朝に対して、ビザンツ帝国が西ヨーロッパに救援を求め、聖地エルサレムの奪還を目的にローマ教皇が派遣を呼びかけたのが『第1回十字軍遠征』です。
って言って
そのころの時の教皇が
って言って十字軍です。
これ以降、中東に成立した様々なイスラム王朝は、キリスト教国が覇権した十字軍とエルサレムをめぐり幾度となく戦いを行います。
これのきっかけになったのがトゥグリル・ベクです。
ムハンマドはイスラムの始まりとして大きな変化を作り、トゥグリル・ベクは十字軍遠征のきっかけを作ったわけです。
この頃の教皇と言うのはなんせ絶対的な権力を誇っていました。
なんと言っても『カノッサの屈辱』で皇帝にも謝らせていますからね。
【アイユーブ朝】英雄サラディン
って何度も進軍してくる十字軍
第3回十字軍遠征から守り抜いたのが英雄「サラディン」です。
これは英雄中の英雄として有名です。
すごくいい人です。
この当時中東はエジプトのカイロを中心にした「アイユーブ朝」と言うものに変わっていましたが、ここで守り切りました。
ヨーロッパのその当時の王様というのは敵のイスラム教系の人を捕まえて捕虜にしたら、すぐに処刑したりしてましたが、このサラディンは十字軍を捕まえても、時々お金を与えて逃したりしていました。
凄く優しかったみたいです。
十字軍遠征のきっかけを作ったのが“トゥグリル・ベク”
十字軍から守ったのが“サラディン”
ここまできましたね。
【イル・ハン国】アジアの覇者『元』の侵攻
そしてその頃同時にイランの方で力をつけていたのが『イル・ハン国』
ここまではトルコ・イラク・サウジアラビア・エジプトの話が出てきてあまりイランの方は出てきませんでした。
それはなぜかというと、イランというのはどちらかというアジアに近いところにありますから、ライバルは中国とかでした。
時は『元』の時代です。モンゴル帝国ですね。
この頃アジア圏はチンギスハン率いる元が絶頂の頃です。
この中東一体にもチンギスハンの孫のフラグが建国した『イル・ハン国』が登場します。
モンゴルがここまできていたんですね。すごいですねこの時代。
十字軍は攻めてくるわ、元は攻めてくるわで、大変です。
【ティムール朝】鬼武者
その後のイスラム圏では「ティムール朝」というのが主役になります。
建国者であるティムールは盗賊団のドンから一代で大帝国を築きます。
イル・ハン国も押し除け、イラクの方まで勢力を拡大します。
『鬼武者』の異名を持つこのティムール、若くして足を怪我して、腕も怪我して、傷だらけですが「無敗」です。
しかも、あまりにも東にエリアを拡大して、死ぬ直前は明に攻め込もうとしていました。
それまではヨーロッパとやりあってましたが、中国にまで攻めて行こうとしました。
さらにティムール朝は凄くて、この頃はトルコ・イラク・サウジ・エジプトあたりを統括していたオスマン帝国が攻めて来てもティムールは追い返しました。
その一方で明に攻め込もうとしている直前に病死します。
【オスマン帝国】中東の中世の終盤
メフメト2世
オスマン帝国は十字軍から守り抜いた上で、さらにビザンツ帝国とやりあっています。
こんな感じずっとヨーロッパと戦っているわけですけども、このオスマン帝国の中でも凄いのが『メフメト2世』です。
このメフメト2世の異名は「征服の父」です。
あのビザンツ帝国と戦って勝ったのがオスマン帝国です。
ビザンツ帝国というのは1000年続いた長寿帝国です。
片割れのローマ帝国は分裂後に揉めて、フランスになったりドイツになったりしましたが、ビザンツ帝国はヨーロッパの争いとは少し距離を置いて、どちらかというとイスラム圏との対立が主でした。
詳しくは以下の記事で書いています。
それを破ったイスラム圏国家がオスマン帝国です。
そのオスマン帝国のメフメト2世がビザンツ帝国に対して行った作戦というのがすごいです。
船で山越え・コンスタンティノープル陥落
メフメト2世はビザンツ帝国の首都の『コンスタンティノープル』を陥落させます。
その時の作戦というのが、コンスタンティノープルには入江があるんですが、そっち側から攻め込もうとすると、めちゃくちゃ太い鎖でガッチリバリケードを張ってて、船が通れない状態になっていました。
そんな中、このメフメト2世は、木の板を何枚も山に敷き詰めて、そこに油をどんどん流します。
そしてツルツルにした状態で、船を押してどんどん山を登りました。
そして山を超えたところで入江に船を落としてそこから攻めていきました。
って事でオスマン帝国はビザンツ帝国を破り、コンスタンティノープルを陥落させますが、この時陥落させた場所が今の“イスタンブール”だそうです。
ヨーロッパと中東のちょうど中間地点です。このイスタンブールを陥落させたのがメフメト2世だという事です。
まとめ
常にヨーロッパと争いながら、時にアジアとも争いながら文明を築いてきたエリア。
イスラム教の発祥となった『メッカ』そして『ムハンマド』
十字軍遠征のきっかけとなった『トゥグリル・ベク』
十字軍から守った英雄『サラディン』
中国・明にも攻め入ろうとした鬼武者『ティムール』
ビザンツ帝国を滅し、首都コンスタンティノープルをイスタンブールにした『メフメト2世』
これらの流れを大方抑えておくことで中東の古代から中世が大体理解できると思います。
それではまた。