2030年に運用資産額5億円到達を目標にしている”あきひろ”です。
株式投資をするにあたり、日々経済ニュースを見ることが日課になりましたが
そもそもニュースの内容がよく理解できない、って事がよくありました。
歴史や過去の様々な事件、そういう事が現代史に脈々と影響し、今の経済活動の礎となっている事が理解できると、そういった教養を身に付ける事が回り回って株式投資にも大いに役に立ってきます。
お金を増やす事で豊かな人生の一助とする方針はもちろん変わりませんが、例え直接株式投資に関係は無くても、ただ純粋に、教養を身に付ける事というのは物事の深い理解を助けて、人生そのものを味わい深くして豊かな人生を送るものに成り得ます。
今回は『日韓関係』について4つの章で展開してます。
第1章では、直近の日韓関係の問題についてお送りしました。
第2章では、戦前から今日に至るまでの日韓の歴史をダイジェストにお送りしました。
続く第3章では、長らく続く領土問題である『竹島問題』と、韓国ならではの国民と大統領との関係について詳しく説明していきます。
Contents
竹島問題がどこに起因するのか見てみる
では竹島問題について深掘りします。他の2つの人件問題(徴用工問題と慰安婦問題)とは少し違います。
日本側の主張
この竹島問題がどこに起因しているかというと戦後です。
1905年に日本は竹島を島根県に編入しています。これはまだ戦前です。
そして1951年『サンフランシスコ講和条約』で、日本がアメリカに占領されていたところから取り戻しました。
『日本が放棄すべき領土』というのをピックアップして、我々が今知る日本として復活しました。
それまでは大日本帝国として東南アジアに至る所まで相当な領土を広げていましたが
ていう風に決められました。
この時竹島はサンフランシスコ講和条約に於いて『放棄すべき領土』として明記されていませんでした。
だから日本側の主張としては
放棄した事実がない
これらの事から
これが日本の見解です。
韓国側の主張
一方、1952年に韓国初代大統領の李承晩(イ・スンマン)大統領が引いた『李承晩ライン』という韓国の領土を決めるラインに竹島がかぶっていました。
この『李承晩ライン』が引かれ、1954年に韓国側が警備隊を常駐させて実行支配をはじめました。
そんな感じなんですね。
もはや誰もわからない17世紀の話
実際これはどっちのものなのか、歴史は17世紀に遡ります。
17世紀に当時江戸幕府と朝鮮王朝の間でやりとりが交わされた、というのが論争の根拠となっています。
当時、この竹島が日本の海賊に脅かされていましたので、朝鮮王朝が江戸幕府に対して「やめてくれ」と言いました。
江戸幕府としても外交上のいざこざを起こしたくないので
という風に対応したと、そういう記述が残っていて、それが論拠となっています。
そういう主張をしていますが、非常にややこしいのが、その当時の竹島と現在の竹島が同じかどうかがわからないんですね。
一説によると今「竹島」と呼んでいるその島は、当時「松島」と呼ばれていて、違う島である「鬱陵(ウルルン)島」の事を「竹島」と呼んでいました。
これがこの資料に基づいて言っている日本の主張です。
しかし17世紀の事ですから、もはや確かめる術がありません。
そんな中で戦後のやりとりも絡まっています。どうしたもんかとなっているところに起きた問題が2012年の竹島上陸なんですね。
非常に難しい問題ですね。
日本と韓国との決定的な違い:国民が強い!
さて第2章でも少し触れましたが、韓国の大統領がなぜここまで韓国国民に対してアピールするような行動をし続けるのか、そこが疑問ですよね。
因みに、1965年の日韓基本条約によってお金をお支払いして以降、国際的にはこれ以上のお金を請求する事はできません。
だから韓国歴代大統領はその事はわかっていて誰も具体的にいくら寄越せとは言いません。
小出しに蒸し返してはきますが、あまり具体的な事は行ってきません。
日本としては、できればさっと払って、すっきりして仕切り直していきたいと思っています。
ですがこれがなかなか言えないんですね。
反日感情が起きやすい教育がされてきた世代がある
それはなぜかというと、初代大統領の李承晩(イ・スンマン)政権の時がポイントになります。
この当時
北朝鮮の金日成政権をソ連が作り
李承晩政権をアメリカが作りました。
李承晩はアメリカに留学していて、戻ってきてから政治活動を行って、アメリカに推されて初代大統領になりました。
この時、李承晩は「韓国のアイデンティティを取り戻したい」と思ったんですね。
それ以前は日本から様々な支配を受けたけど、日本に抵抗して、民族の自立を勝ち取ったんだ、という歴史を国民に教えて「アイデンティティを取り戻そう!」という活動を頻繁に行いました。
1965年に日韓基本条約を結び、日本との国交正常化に持っていけたのは、朴正煕(パクチョンヒ)が大統領だったからだと言われています。
李承晩大統領は
「自分の目の黒いうちは絶対に日本人を韓国国内に入れない!」と言っていたそうです。
だから、その頃の教育の内容は『日本に抵抗して我々は民族の自立を勝ち取った』という部分が強調されています。
そのため必然的に反日感情が高くなりやすい教育になっていた世代があるんですね。
恐るべき韓国大統領の悲劇
さらに、韓国は大統領制である上に、『韓国大統領の悲劇』という闇があります。
韓国建国後、現在の文在寅大統領を含めて12人の大統領がいますが、ことごとく逮捕・亡命・暗殺・自殺など、不幸な末路を迎えている人が多く、無事に退任している人はほとんどいません。
新しく大統領になった人が前大統領を徹底的に叩くというやり方で人心を勝ち得て政権を執るような激しいやり方が何度も行われているんですね。
国民のデモでかつて倒されている
さらに、初期の韓国は軍事国家で、全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領の1987年に『民主化宣言』というのがありました。これは当時、物凄い軍事独裁政権だった全斗煥政権を民衆のデモがひっくり返した、という事件です。
それで国民の直接選挙をしっかりと保障させて、国民の意見を取り入れるようになりました。
日本の場合、国民が選んだ政治家がトップを決めますが、韓国は国民が直接トップを決めます。
そういう事をこの民主化宣言で約束させました。
ここが日本と韓国との大きな違いです。
日本は過去に安保闘争とかで色々と運動を起こしましたが、結局国民が負けて政府側の意見が通っています。
日本の場合はデモとかを起こして抵抗すれば意見は伝えられるけど、国をひっくり返す、というイメージがありませんが、韓国はひっくり返した歴史が存在します。
この成功体験があるが故に国民のデモが激しいんです。
さらに大統領としても常に『ひっくり返されるかもしれない』という危機感を抱いています。
だから国民感情にここまで寄り添うんです。
恐るべき『意見箱』
それを証拠に、大統領府のwebサイトがありまして、そのサイトには『意見箱』というのがあります。
そこへ投稿された意見に対して30日以内に20万人が賛同した場合、その意見に対して政府側から何らかの正式な回答しなければいけないみたいです。
これはすごい事だと思います。
国民の反日感情を利用する大統領
日本の国民と政府の関係と韓国の国民と政府の関係がものすごく違うところが一つ、そしてもう一つが、韓国の国民は現代の歴史について教えられている情報がすごく多い、そしてそれによって日本に対する抵抗感が強い、ここを日本人としては知っておかなければいけないわけです。
韓国の大統領という立場はこういう事が背景にありますから、自分に対する指示が弱くなってきたときなんかは、あえて日本との問題を蒸し返すことで、自分への反感や支持率の低下を食い止めようと、そういう構図になってくるわけです。
これが現代の日本と韓国との間を取り巻く現状というわけです。
第3章まとめ
この竹島問題は厄介ですね。今後どういう風に折り合いが付いていくのか想像がつきません。お互いの主張を譲らないですしね。
余談ですが、韓国の南の方へ行くと海鮮料理が特に美味しいです。ビジネスパートナーとそういう話をする時、私も意図的に「日本海」という表現はしないように心がけています。結構こういうところが繊細だったりしますからね。
それと、本当にそんなに反日感情が存在するのか?ここが結構微妙ですね。国民感情を利用して政府として自分の支持率向上に繋げようとしてみたり。そういう国民に対する忖度がどうもあるようですね。
次回の最終章では、日韓関係そのものの行末を占うために、取り巻く関係各国がどのような思惑を持っているのか、そこを詳しく見ていきたいと思います。
それではまた。