考え方

『外側』を求めない。豊かさの答えは『内側』に。

あきひろです。

いつしか、人生において「外側の結果」に期待する事が無くなりました。

落胆とか諦めとか、そういう事ではなくて、あくまでも自分自身の心の在り方としての世界に対する解釈のようなものです。

人生の真理は『逆』

人生どこかのタイミングで、「あれ、これ違うな?」「逆だな」とかっていう感覚を持つようになり始めて、そして明確な根拠を持つ事もないままに、それが我々の人生を取り巻く世界の『真理』だと徐々に腑に落ちるようになりました。

ある日突然気がついて一気に変容した、という事ではなくて、徐々にそう思い始めてから、ある程度は『意図的に』そう解釈するように努めて、いつしかそれが自然と出来るようになって、振り返ったら自然とそういう行動で毎日を生きている、そんな変化の過程です。

そんな事で、人生の外側の世界を無理に変えようと努力をする事もなくなり、それに基づいた結果を追い求める事もなくなりました。

まだ、そういう部分はゼロにはなっていませんが、時間の問題な気がしています。もう近いうちに『完全自己完結人間』に成れるイメージができてきました。

確実に存在する『人生ステージ』

人間にはステージがあるように思います。今私がいるステージの少し前に、「外側の結果を求めるステージ」があるような気がしています。

ここはある意味結構苦しいステージですね。なんせ外側の結果というのは直接的に関与できないゾーンなので、変えるためにガムシャラに色々な事をやりながらも、結局それらが変わらない事実に苦しむ事になります。

そして、また自責に苛まれ、どうすれば良いか悩む(苦しむ)。このスパイラルに嵌まり込むと中々抜け出せませんね。何と言っても正解はその真逆にあるわけですから。

人生は『内面との対話』ここに尽きる

そんなこんなでそのステージを抜けつつある自分にとっての興味はもっぱら『内面の自分との対話』ここに意識を集中しています。

「自分はどうしたいのか?」「自分はどうしたら喜ぶのか?」自分の取扱説明書と言っても良いかもしれません。こういう事を常に自問自答しています。何ならここ以外に興味がない、と言っても良いくらいです(笑)

こういう事をあまり主張すると

「無責任だ」とか「思いやりがない」とか「もっと人を頼るべきだ」とか、そういう事を言われてしまいがちで、それもまぁごもっともだと思うのですが、逆なものは逆だとしか言いようがなく、「そういうステージの時はそれで良いと思う」という風にも思います。

対人関係はエネルギーの流れを捉えるのが吉

どちらが正しいとか、そういう次元では捉えません。ですが、自分軸で内面を整え満たしている人に共通することとしては、人生に無用な悲壮感や焦燥感、執着心というものがなく、エネルギーに満ち溢れています。

だから周囲も自ずとリラックスでき、その結果としてたくさんの人に囲まれたり、繋がりを感じられたりするわけです。

一方で内面を満たせていない人は、常に「不十分感」を感じており、知らない間に奪うエネルギーを出し続けます。

24時間365日、奪うエネルギーを撒き散らし続け、「くれくれオーラ」を毛穴から発散して、周いからエネルギーを奪い続けます。満たされる事がないため、隣の人のエネルギーを吸い尽くしたら、次のターゲットを吸血鬼のように探し始めます。

この世はパラドックス

そういう人と一緒にいる時のエネルギーの流れは、本来『循環』であるはずが、完全な『一方通行』となり、周囲は身を削られる感覚になって離れたくなるんですね。そして結果、孤独になる。

それに対して、自分完結の『一人での充足感』を感じれば感じるほど、次第に「全体の一部」である感覚を心地よく持ち始め、本当に『皆』になる。

欠落を感じれば感じるほど、『孤独』になる。

この、真理であり、この世のパラドックス、これをいつしか知り、徐々にでも体現できるようになっている事自体が、人生における豊かさのように思い始めました。

そうして次第に『物心両面の豊かさ』を持つ人生に!

して行きたいですね😆

それではまた。